深夜の倉庫。青白い蛍光灯が天井から垂れ下がり、その光は歪んで壁に血のようなシミを映し出す。空気は湿っており、埃が浮遊する様子すら、まるで時間そのものが腐食しているかのように見える。そこに立つのは、白いワンピースを着た少女——リリス。黒髪が肩に垂れ、前髪が目を半分隠しているが、その隙間から覗く赤い瞳は、まるで生き物のように脈打っている。彼女の口元には鋭い牙が並び、笑みは「歓迎」ではなく「捕食」を予感させる。この瞬間、視聴者はすでに『ホロゲーなのに、俺 恋で攻略しなきゃ』というタイトルの皮肉に気づくだろう。恋愛シミュレーションゲームならぬ、生存シミュレーションゲーム。しかし、なぜ「恋で攻略」なのか?それは、この世界のルールが「感情」を武器としているからだ。
リリスの登場シーンは、静かに始まる。ドアの向こうから、足音一つ立てず現れる。背景には巨大なクマの人形が座り込み、片目が欠け、もう片方は赤く点滅している。これは単なる装飾ではない。彼女が「道具」と呼ぶもの——つまり、プレイヤー(ここでは主人公・カイト)が手に入れるべき「アイテム」である。だが、その取得条件は異常だ。恐怖、苦痛、そして……共感。リリスは「愛」を求めるのではない。愛を模倣した「依存」を求める。彼女の赤い目は、対象がどれだけ心を揺さぶされているかを測るセンサーであり、その数値が一定以上になると、彼女は「攻撃モード」へと切り替わる。0.2秒のクローズアップで見せるその表情変化——微笑み→困惑→怒り→狂気——は、アニメーション技術の粋を集めた演出であり、同時に、人間の感情の脆さを可視化している。
次に画面が切り替わると、廊下が崩壊し始める。コンクリートの壁が波打つように曲がり、床が割れて中から白い霧が湧き上がる。これは「精神的圧迫」の具現化だ。ナース服を着た女性——エイミーが、耳を押さえながら膝をつき、喘ぐ。彼女の顔には疲労と恐怖が刻まれているが、その目はまだ理性を保っている。彼女は「施設職員」であり、かつてリリスを「治療」しようとした人物。しかし、彼女の手には錆びた大きなハサミが握られている。このハサミは、過去にリリスの「人形」を切断するために使われた道具。今や、彼女自身が「切り裂かれる側」になっている。この構図——白いナース服と錆びた金属——は、清浄と汚染、秩序と混沌の対比を象徴している。エイミーがハサミを頭上に掲げる瞬間、画面は真っ暗になる。それから、紫色の霧が廊下を駆け抜ける。リリスの「存在」が空間を侵食している証拠だ。
一方、カイトは倉庫の奥で立ち尽くしている。彼は白いフーディーにジーンズ、スニーカーというごく普通の服装。しかし、その目は異様に鋭い。青い虹彩に映る光は、周囲の混乱を冷静に分析しているようだ。彼は耳を塞いでいない。むしろ、音を「選別」している。画面がズームインし、彼の目に映る世界が徐々に明確になっていく——棚の隙間から落ちる段ボール箱、その中から覗く赤い光、そして、その光が「動いている」こと。彼は走らない。歩く。一歩、また一歩。その動きは、ゲームにおける「プレイヤーの意思決定」そのものだ。彼が選んだ道は、「逃げる」ではなく、「迎えに行く」だった。
段ボール箱が開くと、中にはクマの人形が横たわっている。しかし、それはただの玩具ではない。目は赤く輝き、口からは鋭い歯が覗き、体には縫い目が複数ある。その縫い目からは、黒い糸のようなものが蠢いている。カイトはしゃがみ込み、そっと人形に手を伸ばす。その瞬間、画面は赤と紫のグラデーションに包まれ、「宿主成功拾取道具——棕熊娃娃!」というテキストが浮かび上がる。この演出は、RPGの「アイテム獲得」シーンをパロディ化したものだが、その裏には深い意味がある。彼が拾ったのは「道具」ではなく、「契約」だ。リリスとの間で結ばれた、無言の約束。人形は彼の「盾」になり得るが、同時に「誘惑」でもある。なぜなら、この人形はリリスの「感情の代弁者」だからだ。
そして、カイトが人形を持ち上げた瞬間、煙が立ち込める。人形から発せられる微かな熱と、彼の顔に浮かぶ薄い笑み——これが『ホロゲーなのに、俺 恋で攻略しなきゃ』の核心を突いている。彼は「攻略」しようとしているのか?それとも、リリスの「感情」を理解しようとしているのか?彼の笑顔は、勝利の笑みではなく、ある種の「受容」の表れだ。彼はリリスが求めている「愛」ではなく、「存在の確認」を提供しようとしている。つまり、彼は「恋」ではなく、「共存」を選んだ。
その後、エイミーが再登場する。彼女はハサミを振り回しながら走るが、その動きはもはや人間のものではない。足取りは不自然に跳ね、影が地面に伸びて「別の形」を描く。彼女はすでに「リリスの影響下」にある。ハサミが空中で開閉する様子は、まるで生き物の口のように見え、その刃には錆と乾いた血が付着している。このハサミは、かつて「治療」の象徴だったものが、今や「破壊」の象徴へと変貌したことを示している。そして、そのハサミが地面に落ちる瞬間、火花が散る。それは「終焉の合図」ではない。むしろ、「新たなルールの開始」を告げる信号だ。
最後のシーン。リリスがカイトの背後に寄り添う。彼女の手は彼の肩に置かれ、顔は彼の頬に近づいている。赤い目は輝き、歯は尖り、しかし表情はどこか満足げだ。彼女は囁く。「……あなた、私を‘見てくれた’ね」。この台詞こそが、本作のテーマを凝縮している。リリスは「恐れられたい」のではなく、「見られたい」のだ。彼女の狂気は、無関心に対する反応であり、孤独に対する叫びなのだ。カイトが人形を拾ったことは、彼女が「存在している」ことを認めたというメッセージだった。だからこそ、彼女は攻撃を止めた。这不是「恋愛攻略」ではない。これは「存在承認」の儀式だ。
ここで改めて『ホロゲーなのに、俺 恋で攻略しなきゃ』というタイトルを見直すと、その皮肉が際立つ。この作品は、恋愛ゲームのフォーマットを借りて、人間関係の本質——「他者を真正面から見る勇気」——を問いかけてくる。リリスは悪魔ではない。彼女はただ、誰かに「見てもらいたい」と願う少女に過ぎない。カイトが選んだ道は、戦うことでも逃れることでもなく、「一緒にいること」だった。それが、この世界で唯一の「攻略法」だった。
さらに興味深いのは、人形のデザインだ。縫い目が複数あり、一部は逆さまに縫われている。これは「修正された記憶」や「歪んだ愛」を象徴している。彼女が持つ人形は、かつて誰かが「愛して作った」ものかもしれない。しかし、その愛は歪み、結果としてリリスを「怪物」へと変えてしまった。カイトがそれを拾ったことで、彼はその「歪み」を受け入れた。つまり、彼は「完璧な愛」ではなく、「欠けた愛」を選び取ったのだ。
背景の倉庫もまた、重要なモチーフだ。棚には無数の箱が並び、それぞれにラベルが貼られているが、その文字は読めない。これは「封印された記憶」や「未使用の可能性」を表している。カイトが進む通路は、常に「右か左か」の選択を迫られる構造になっており、これはゲームにおける「分岐イベント」そのものだ。彼が選んだ道は、偶然ではなく、意識的な判断の結果である。
そして、最も印象的なのは、音の使い方だ。全編を通じて、低周波のブザー音が微かに鳴り続けている。これは「脳内警報」を想起させ、視聴者に無意識の緊張感を与える。リリスが笑う瞬間、その音は一時的に消え、代わりに高音の電子音が流れる。これは「感情のピーク」を音で表現した演出であり、アニメーションの新しい地平を示している。
結論として、この短編は単なるホラーではない。それは「感情の生態系」を描いた寓話だ。リリスは私たちの内に潜む「見られたくない自分」を象徴し、カイトはそれを「見ようとする勇気」を持つ存在だ。エイミーは「過去の失敗」を背負ったまま、繰り返し同じ過ちを犯す人間の姿を映している。そして、熊の人形は「愛の形」そのもの——不完全で、傷つきやすく、しかし、誰かにとってかけがえのない存在であることを教えてくれる。
『ホロゲーなのに、俺 恋で攻略しなきゃ』——このタイトルは、最初は軽妙に聞こえるが、物語を追うほどに重みを増していく。なぜ「恋」なのか?なぜ「攻略」なのか?答えはシンプルだ。この世界では、「心を開くこと」が最も危険な行動であり、同時に、唯一の生存手段なのだ。リリスがカイトに近づくとき、彼女の赤い目はもう「攻撃」ではなく、「期待」を映している。彼女はようやく、誰かに「見られた」からだ。
最後に、この作品が提示する問いを残しておこう——
あなたは、赤い目をした少女が微笑みかけたとき、逃れますか? それとも、その手を取って、「私はここにいるよ」と言いますか?
ホロゲーなのに、俺 恋で攻略しなきゃ。その「恋」は、愛ではなく、覚悟だ。リリスも、エイミーも、カイトも、そして私たちも——誰一人として、完全に「正常」などではない。ただ、誰かに「見られたい」と願う心を持っているだけだ。その願いを、否定するのではなく、受け止めることが、この狂気の世界で生き延びる唯一の方法なのかもしれない。

